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1982:BEATNIK-甲斐バンド写真集

1982;BEATNIK ステージで、燃えつづけることで、
その存在を主張してきた【甲斐バンド】
これは彼らの"燃焼瞬間"をとらえた、
139枚の写真による熱いメッセージだ。


BEATNIK:1950年代の後半、アメリカに一群の"新しい"若者達が登場した。
既成の社会通念を排除し、ありきたりの生活を拒否し、自分たちの自由意志のままに生きようとする若者達だった。サンフランシスコのノースビーチ、ニューヨークのグリニッチ・ビレッジなどはそんな若者達であふれた。
ビートニク(BEATNIK)-----そう彼等は呼ばれた。"BEAT"とは<叩く、うちひしがれた>の意味で、"NIK"とは当時世界ではじめて打ち上げに成功したソ連の人工衛星スプートニクに由来している。

小学館 女性セブン特別編集[1982/11/15]
今しかない。だから赤裸々でいい。
開演のベルが鳴る。灯りがおちただけで客席は異様な熱気に包まれる。拍手でもない。歓声でもない。言葉にならない熱気と待望感が、地熱のように噴きだし始める。メンバーが登場してからは、もう止めようがない。ステージのビートと客席のビートがうねるように高まっていく。あとはもう、行く所まで行くだけだ。
Live Stage

気がついたら朝。そんな夜が多いよね。
甲斐よしひろの自宅の窓からは富士山が見える。かといって、都会を離れて大自然の中、などというのではない。立派に、都内なのだから。地下の私設スタジオにこもると、外のクルマの音も何も聞こえてこない。カーテン越しの朝の光の中で夜明けを知り、浅い眠りにつく。そして、夕刻、街に雑踏のビートが戻る頃、その中に加わる。
Private

レコーディングが始まると、酒も飲めない。
レコーディング期間中の甲斐よしひろは、微熱にうかされているようだ。感情の起伏がいっそう激しくなる。寝不足の目にうっすらと赤い影が宿り、饒舌になる。つかれたように話続けたかと思うと放心しきったようにそう絶な沈黙を見せたりもする。レコーディングが始まると酒も飲めないというのも精神的なものだろう。
自分の身をそぎ落とすような曲作りとスタジオ・ワークが続く。
Recording

街から街へ。ツアーというより旅だ。
年間100ステージ。もう5年以上つづけている。どんな小さい町でもいい。チケットを握りしめて、はやる気持ちを押えている少年少女達がいる限り。ただの1回もコンサートのキャンセルをしたことがないのが甲斐バンドのプライドだ。バスに揺られ、夜汽車に乗って次の町へ旅する。それが生き方だから。
Tour

わかるだろう。ケガ人が出そうなんだ
2万人の人波がステージを襲った。歓声と絶叫の中で失神者が運び出されていく。オープニングと同時だった。そんな騒ぎがステージをより激しいものにしていた。スタッフが危険を察知していた。このままではケガ人がでる、と。
9月13日。81年の秋のツアーの皮切りは花園ラグビー場での野外イベントだった。終演後、彼はこう言った「オルタモントにはしたくなかったからね」
Event

ひとりにしてくれないか。すぐ行くから。
リハーサルの時、彼は客席で音をチェックする。客席の何か所かに座って音を確かめる。それから自分の歌のリハーサルに入る。開演まであと2時間。誰もいない会場を歩きまわる表情が、けわしくなる。楽屋に人が集まり始める。
楽屋----客席からは見えないドラマの世界。
Back Stage

客席の声が「きゃー」という歓声から「うおー」という太いものに変わっていった頃のバンドのありのままを、モノクローム主体の写真で表現して見せた写真集。
オフとオンの表情の狭間をLive Stage/Private/Recording/Tour/Event/Back Stageのカテゴリ別に映し出されていく。
オンタイムでこの写真集を購入しなかったのだけれど、買わなかった事にひどく後悔した・・・それは「ポップコーンをほおばって[田家秀樹著]」の中で「81年から82年にかけての希望と絶望」という風に書かれていた部分が、実は見たくて見たくて仕方がなくなってしまったからである。
あの頃のサウンドやステージでの変化がそこに起因するものがあるのではないか・・・そう思ったからだ。
そこに甲斐の人間性に触れられほっと安心する反面、極限まで追い込んでいく凄まじさを感じた。
初版で4万部、10日後に1万部増刷という写真集としては異例の売れ行きを示したものだった。
持っている人は大事に、持っていない人は何かのチャンスに見かけたらぜひ手に入れて見て、読んで欲しい。

オルタモントの悲劇

1969年12月6日 カリフォルニア州リヴァモア スピードウェイで行われたローリングストーンズの50万人規模のフリー野外コンサートで、"Under My Sum"の演奏が終わりに差し掛かった時に、会場を警備していたヘルス・エンジェルスが黒人青年が拳銃を持っていると見て刺殺してしまう事件が発生した。このショッキングな事件は映像作品"Gimme Shelter"(ギミー・シェルター)にも収められている。この事件もあり通称「オルタモントの悲劇」で知られる事となった。
他にも事故死を含め計4人の死者を出し、平和の祭典だったウッドストックのウエスト・コースト版になるはずだったフリーコンサートは悲劇の舞台と化してしまった。

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