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Kai Band : CIRCUS & CIRCUS  【1978】

サーカス&サーカス1978
実際にコンサートに行った訳ではなくたまたま立ち寄った古本屋の壁に飾ってあったのを購入したもの。
最初に右上の蝶のイラストに目を奪われ「もしや・・」と思った瞬間には手に取っていた。
初期の甲斐バンドイメージはこのアゲハ蝶が使われていました。(ライヴ盤のサーカス&サーカスの歌詞カードの歌詞そのものが蝶をかたどっていましたっけ)
表紙は王子様のような当時の甲斐の衣装のステージショット、裏表紙はメンバーショットと摩天楼?や蝶などのコラージュになっている。
サーカス&サーカスの流れ、ライヴの写真に添えられた「風が唄った日」の歌詞、甲斐バンドヒストリー、甲斐との対談、渋谷陽一氏による解説?が掲載されている。
現代のパンフレットに見られるような派手さはなく薄っぺらな作りではあるが、あの時代の甲斐バンドを何となく上手く表現出来ている構成なのではないかなと思う。
(決してバンドが薄っぺらだと言うのではないです)



   サーカス & サーカスの流れ

1975 12.20 神田共立講堂第1回サーカス&サーカス)(1,500名動員)
1976 3.31 大阪毎日ホールにて大阪初のサーカス&サーカス
8.30 愛知文化講堂にて名古屋初のサーカス&サーカス
9.11 中野サンプラザホールにて東京2回目のサーカス&サーカス)(2,400名動員)
10月 北海道3ヶ所と福岡にてサーカス・ツアー
1977 3.24 中野サンプラザホールの'77サーカス&サーカスをスタートに全国30ヶ所で春のサーカスツアー展開
5.8 渋谷公会堂にてサーカス&サーカスinサマー
9.2 広島郵便貯金ホールをスタートに全国35ヶ所でアフターマスツアー
12.16 立正普門館にて泉谷しげるとジョイントの”コズミックサーカス”開催
なお、1977年東京におけるワンマン・コンサートは5本となり延べ動員12,000名を記録する。

  「日本のコンサート特有の静のイメージじゃなく、動のイメージが僕らには似合う。別にただ騒ぎまわればいいと思っているわけじゃないけれど、どことなく重苦しい雰囲気で、姿勢を堅くして聞くなんてのはよくない。
リラックスして、心ゆくまで楽しんでもらう。
静かな曲の時はもちろん静かに、ステージに反応したいときはそれこそ思い切り全身で僕らにこたえてもらえたら最高だ」(甲斐よしひろ)

  そんな気持ちをこめて、”サーカス”という言葉は使われている。
未知の世界を覗き込むような、わくわくする期待と一抹の不安が混じりあった不思議な魅力・・・・・・。
ひとたびショーが始まったら、そこで繰り広げられるのは、日常とは異次元の、あでやかさとスリルに満ちた華やかな世界。
  まもなく満2年になろうとする”サーカス・サーカス”は、いまや最高の盛り上がりを見せている。
着実に成長をそげてきた甲斐ンドは、押しも押されぬ日本のトップ・グループの座についた。
そんな自信が、ライブ・パフォーマンスのパワーをいっそう増すことにつながっている。
ステージにおける燃焼の激しさは、もはや他の追従を許さないと言ってもいいだろう。
   歌うことじゃなくて歌い続けることだと思う---Yoshihiro Kai

  常に観客の目の前にいたいと思うんだ。
ストーンズの演奏はスキマだらけだけど、いつでも僕らの前に存在しているという迫力がある。
ビートルズはやさしくなっちゃったね。 ミックのあの迫力、スキャンダル流してメチャクチャやってても、そこにいるんだっていう緊迫感をいつでも僕らに与えるよ。
ものすごく熱いものがそこにあるって感じ・・・・・・・・・
日本のミュージシャンにはそれが欠けているんじゃないかな。
人間が円すぎるんだよ。
熱い部分でのコミュニケーションがない。
観客といっしょになって、ある一つのものを追い求めるみたいな・・・・・・

  ステージの最前列の女の子だけ立たせてもしようがない。
二階がみんな立って、どんなに沈んだ気持の人間でも楽しくさせちまわなければ本当のアーチストって言えないと思う。
ステージ゛で歌って踊って走って、汗びっしょりになって、エネルギーとことんまで使い果たしてさ、アンコールには最後の力をふりしぼって這いずって出たいね。

  争うことをきついって思ったら駄目。
生きていくために必要なことは絶対ゆずっちゃいけないよ。
それが自己主張になるんだもんね。
  バンドの仲間も、一人一人違ったパーソナリティーを持ってアブノーマルな奴ばかりだけど、かえってうまくいってると思う。
妥協しあったり、問題を捨てたりしないから。

  ストレートに物を言い合うから、喧嘩もしょっちゅう。お互い納得するまで話し合うね。
だから、もつれたままの妥協なんてない。そんなホットな部分でみんなつながってるんじゃないかな。

  好きなものエトセトラ?たくさんあるよ。
まず好きな作家からいくと、何といっても金子光晴。彼の作品は全部読んだな。死んだって知った時本当に泣いちゃったよ。
仲間といっしょに酒を飲むのもこれまた大好き。
ビール、日本酒、ウイスキー何でも酒ならいい。
酒を飲むと陽気で楽しくなるからね。好きな曲を聴きながら、ワイワイ仲間と酒盛りするのはこたえられませんですな。
ドラムの奴と飲むと、ウイスキー1本30分であけちゃうよ。

  水割りならホワイト、ロックならジョニ黒がいい。
博多名産の辛子明太なんかあったらもういうことない。
話した後できれいに見える人っていいと思うなァ。
にじみ出てくるものがある人。僕の好きになった女ってみんなそんな感じだったよ。
いろんな面で感化されたし、感化したと思ってる。

  感化し合わなければ、そんな恋愛、嘘だと思うし、だいたい反応のない恋人同士なんてまるでつまらんもんね。
  お互いストレートに物を言い合ってさ、下らない妥協はしないに限ると思う。
本音をさらけ出した付き合いをしたい。
ホットな部分でね。寝る寝ないに関係なくさ、陽気で楽しい恋がしたいと思ってる。
ウーン、そう考えてみると僕は意外に淡白なのかもしれないなァ。

「いんなあとりっぷ」1974・4月号より



中村   甲斐バンドって、世間一般ロック・ファンからは、いわゆる”フォーク層” とミーハーの女の子だけにウけているバンドっていうぐらいの認識しかされていないと思うんですけど、その辺をどう考えてますか?

甲斐   ステージを見てもらえばわかるとおり、年令層は低いよネ。
東京だと女の子ばかりだけど・・・・・・。うーん、フォークだとか、ロックだとかいうのとは、ちょっと違うんじゃない。
僕等のファン層は。フォークにしては騒ぎ過ぎだしネ(笑)。
ロックってのは、もう、ちょっと冷めていると思うし・・・・・。


中村   僕はこの前、初めて甲斐  バンドのステージを見たんだけど、正直言って、驚いたわけ。
やっぱり、それまで普通のロック・ファンと同じような認識しか持っていなかったからなんだけど、あれを見てスゴイなァって思ったのね。
女の子達をバンバン扇動しちゃうし、ステージングもカッコ良いし、もう、”ROCK−SHOW”そのものと言っても充分充分通用するものだと思うんですよね。


甲斐   扇動するのは大好きだから(笑)。
あの、よくミーハーがどうのこうって言う奴がいるじゃないでも、俺は素晴しいと思うんだよね。
あのファンの奴等のパワ一つでのは大事だと思うんだよ。
奴等がいくらローティーンだからって、万という数になれば社会問題にまで触れてくると思うのネ。
俺はああいうファンの子達がチャーミングに見えるし、ステキだなって思うよ。
だから、もっともっと騒いで欲しいし、楽しんで欲しいネ。
今の状況から言えばね、極端な話、男なんか見に来なくていいと思うよ俺は、女ばっかりでワイワイ騒いでさ、それに、やっと男が気づいて、見に来るようになれば最高なんじゃない。


中村   じゃ、男というか、頭の固いロック・ファンまでもを解からせようとは思わないわけ?


甲斐   いや、もちろん思っているよ。
俺は女の子だけの為に歌を作ってないしね。もし、女の子の為だけに歌を作り出したら、もうダメだと思うのね。
俺達は、その最低線だけは、絶対に譲れないね。


中村   ”譲れない”っていうのは、女の子にコビを売るような歌を作れないってこと?

甲斐   うん。だから、そのへんはさ、○ャーとかいるじゃない(笑)。ああいう人に任せとけばいいからね。 だから、甲斐  バンドっていうと、 「裏切りの街角」やフォーク・ロック・バンドだなんてイメージしかない奴らにも解からせてやるつもりだよ。 ただ、どうしても聴きたくないって奴らに無理やり聴かせようとは思わないね。解かってくれるまで待っているつもりだよ。 でも、30才までは待てないよ。いや27才でも待てないな。そんな気持ちで勝負しているつもりだよ。俺、思うんだけとさ、ロックの奴らって25才で発言力を持たなきゃダメだよ。 30代の奴で発言力のあるのはいっぱいいるわけよ。ロック側で内田裕也がいるし、フォークなら、拓郎、陽水がいるじゃない。でも俺はそれを25で握りたいね。それが大事だと 思うから。その為に勝負していこうと思ってるよ。

中村   さっき、満足していないって言ってたけど、満たされない部分、ハングリーと言っても良いけど、そんなところが創作の起動力になってるのかな?

甲斐   うん。それが無くちゃ、やっていけないよ。金が入ったら無くなるハングリーじゃないんだよね。俺達が侍っている精神的なハングリーってあるじゃない。それを歌っている奴って誰も出ていないよね。俺達が音楽をやって行く価値というのは、その部分しかないね。まだ歴然と形になって出てきてないかもしれないけど、出していきたいと思ってるよ。

中村   そのハングリーなものと共に何を歌っていきたいですか?

甲斐   あのさ、いわゆるフォークとかロックでさ、”今”を歌ったラブ・ソングってあまり無かったじゃない。だから、それを歌いたいのね。”今”をしっかりと見据えて歌いたいんだよね。 俺が書く歌はラヴ・ソングが多いんだけど、それが違う形のラヴ・ソンクで在在しない限りはダメだと思うのね。俺達のバンドの存在価値ということにおいてもね。 もっと言いたいことを言って良いと思うんだ。ラヴ・ソングであってもね。

中村   もっと主張しろという意味?

甲斐   うん。言葉の鋭さって言うのかなァ。歌謡曲にはすごいのがあるんだけどね。「昭和枯れすすき」とかね。あれなんかすごいよ。かなり歌詞に刃物っぽいモノが見えるじゃない。 こういう言葉の鋭さってフォークは無くしたもん。ロックなんて冗談じゃないじゃない、日本の奴は。クソみたいのばかりでさ。腹立つよ。

「ロック・ステディ」より 聞き手 中村俊夫
   商売ロックへのアプローチ      渋谷陽一

  日本にロックをどのように土着させるか。簡単である。日本人自身による日本人の為のロックを作ればいいのだ。ところが、誰でも知っているように、それはひとつも簡単ではないのである。いろいろなミュージシャンがいろいろな形で努力してみたが、今だに試行錯誤の段階でしかない。確かに外的条件が障害になっている部分もある。しかしそれを乗り越えていかなければなにも始まりはしない。

  ロック・ファンやロック関係者の中にはニュー・ミュージックを敵のように思い、頭から排斥する人が居る。体質的に合わないものを別に無理矢理に好きになる必要はないが、僕自身にとってニュー・ミュージックはそれなりに学ぶ事の多い音楽である。つまり音楽がリアリティーを持ち、その国の風土に土着するというのはどういう事か、ニュー・ミュージックは教えてくれると思うのだ。

  音楽がいわゆる音楽愛好者の為だけの愛玩物になっている間は、本当の意味での大衆音楽とは言えない。アクチュアリティーのある大衆音楽とは、音楽ファンではない一般の人にも支持されるものでなくてはならないのだ。

  そうした意味で、俗にいわれるところのニュー・ミュージックは、音楽ファンだけでない、その世代全般の人々に支持されていると思うわけである。その分、ロックよりしたたかである。作品そのものへの評価とはまた別に、そうしたニュー・ミュージックの支持されている構造は大いに注目に値いするし、学んでいくべきものも多い。

  逆にロックの場合、その限界というか、いつになっても一部のファンにしか支持されない弱さの壁になっているのが、その趣味性にあるのではないか。売って行く事に対すしたたかさの欠如が問題なのではないか。

  自分達のセンスの良さやテクニックに酔うばかりで、これがわからないのはお客がイモだという、一種のマスタベーション行為をやっていて、それがあたかも高級な事であるかのように思い込んでしまっている。今だにこうした病気にかかっている日本のロック・ミュージシャンが居るように思う。これはもう体質なのかもしれないが、この壁を突破しない限り日本のロックが本当の商売になる時は来ないのではないか。

  先日、新宿の「ルイード」で僕は甲斐バンドのコンサートを観た。定員いっぱいに入った女の子ばかりの聴衆の熱狂ぶりを見ながら僕はそんな事を考えていた。

  僕は甲斐バンドについては、友人の一人のロック狂が日本のロックの中ではなかなかセンスがいいと言っていたので、前から気にはなっていたのだが、本格的に彼等の音に向い合う機会は余りなかった。無論、レコードは何度か聞いた事があったが、その時点ではそれほど強い興味を抱かなかった。やはりステージに接した事により、僕の甲斐バンドに対するイメージはよりはっきりしたものになったようだ。

  技巧的な曲構成を聞かせるわけでも、演妻テクニックの見本市をやるわけでもない、ひたすらストレートでシンプルな曲を、実に素直に演奏するだけのステージなのだが、そこには僕の見慣れている日本のロック・アーチストとはまた別のアプローチのしかたで、日本独自のロック・ミュージックを作っていこうという意欲とアイディアがあった。

  実は、甲斐バンドのコンサートに来るのは女性ばかりで、世間ではミーハー・グループ的な評価もあるなんて事を、僕はそのコンサートに行くまで知らなった。レコードを聞いただけではそうは思えなかったし、写真を見ても(失礼)アイドル・グループ的な部分は余り感じられなかったからだ。だから意外な気がしていたのだが、会場に着いてその圧倒的な数の女性の聴衆、というより関係者以外は全て女性という現実を目のあたりにして少々驚いてしまった。ある意味で女性客ばかりという現実は残念ではある。ただそれだけの女性客を動員できるパワーはたいへんなものだ。もうひとつ驚いたのは女性客ばかりなのでキャーキャーすさまじい歓声かと予想したのに戻し、実にファンが静かな事である。ファンが余りヒステリックでなく、年齢が高いのだ。通常のコンサートはキャーキャーと大変らしいが、新宿「ルイード」では非常におとなしかった。明らかに彼らの音は女性ファンに適合しようとしたものでなく、自分達なりにロックというスタイルの日本的展開を、索したものである。その辺をファンも理解していて、聞く態度にあらわしていたのだろう。

  いろいろな形で多くのミュージシャンが探し求めている日本における商売になるロックのスタイル、それを甲斐バンドは自分達独自のアプローチで作りあげつつある。