2009年9月の日記


入院費
今日は早くあがって病院に行くことにした。
途中で姉にメールしたら、ちょうど病院に着いたところだという。
バスも動き出しあっという間に病院に着いた。

お袋の意識もはっきりしており、会話も出来ている。
血圧がちょっと下がったかなと言う感じだけど、これが普通といえば普通かも。

8月分の入院清算書が来ていて見てびっくり。
約200万だ・・・・
7月末から入院しており、その間に保険書証が更新されていたのだが、提示していなかったので100%負担で清算書は計算されいた。

一度全額払ってから調整とか言われたら堪らないな。
とりあえず明日清算確認してもらうことにした。

そんなこんなしていたら、仕事の電話。
しばらく各所に電話しながら調整をしたが、どうにも俺が自宅に帰らないと処置出来ない状態となった。
しかたがなく出てバスに乗るつもりで病院を出た。
目の前のタクシーを見て・・・タクシーは?と思い直し引き返しタクシーに乗り込んだ。
緊急時に貰ってあるチケットが使えるタクシー会社だった。
チケットは?と聞けばOKだと言うので、財布の中身で足りなければチケット登場という事で走り出した。

いつも自分のクルマで通る道をタクシーで帰る。
いつもと変わらずスムーズに帰宅。しめて3,000円。
財布の中身でOKだったのでチケットはまたしまい込む。

部屋に入り処置して完了。
なんだったんだ・・・。
まぁ頼りにされりゃね、動くよ。

バタバtしていたけれど、首尾よく動けたので良かった。
明日は清算せねば・・・。
2009年9月4日(金) No.852

今朝の状態
先日転院の話をしたばかりだったが、どうにも・・・。
どうやら状態が悪くなっていっているようで、転院の話も無くなりそうである。

姪が泊まってくれていたのだが、会話も極端に少なくなってしまったようだ。
先週の明瞭な感じは最後の灯火だったのかもしれない。
今晩は姉が泊まってくれているが、会話は皆無のようだ。
そろそろ予断を許さない状況になってきたかもしれない。

思えば4月に入院、治療を始めた訳だが、結果的には命を縮めてしまったのではないか?と時折思う事がある。
逆にもっと短命だったのかもしれないが・・・

やっぱり末期の状態はあっという間なのだな、と思い知らされた。
親父の時に手術が出来て延命が出来てしまったのが頭にあって、ちょっと悠長に考えていたところもある。
とはいえ、薬漬けになって意識も混沌としているまま、こちらの思いだけで生かし続ける事は果たして本人の意思に沿っているいるのだろうか・・・

土曜に話をした時はまだまだ生きるつもりでいたし、そもそも死の淵にいる事を微塵にも考えていないようだった。
このまま苦しみもなく旅立って欲しいと願うばかりです。
2009年9月9日(水) No.853

病院からの帰り
定時であがり病院に寄っていた。
だいぶ痩せてしまって、元気なんかない。
ただまだ会話はかたことながらできたので良かった。
もう話せないかと覚悟していたので。
今の状態が本人にとって、どんななんだろう?
苦痛だけだとしたら、可哀想だ。
2009年9月10日(木) No.854

今晩は泊まり
既に消灯時間を過ぎてるので、ランプを調光してベッドサイドにいる。
看護師さんが「頑張ってますよね」って言うんだけど、これで良いのか?って思う。
本人はまだまだ生きるつもりだったよなぁ。悔しいだろうなぁ。
曾孫が抱けて良かったよ。
親父は俺の子供も見れなかったしなぁ。5人の孫に曾孫まで見れたんだから、良かったんだな、きっと。
もう消え入りそうな命だけれど、本人が納得して旅立って欲しい。
2009年9月12日(土) No.855

寄って
会社を定時に出られたので病院に向かう。
6時台の早い電車はすごい混雑で辟易としながら、バス乗り換え駅に到着。
バス停留所に向かうと丁度バスが来るタイミング。
そそくさと乗り込み病院に向かう。

今晩は姉が泊まるのだが、来る間は居てあげられる。
昼に居られないせめてもの気持ち。

部屋に入るとさらに弱々しくなってしまった母がいました。
もう言葉も出てこない、ただ言葉をかけると頷いてくれるので、認識はしてくれている様子。
会話にならないのが悔しい。

一人にしてしまうと点滴に針を抜いてしまったりするので、また手にはミトンがはめられている。
可哀想なので外してあげる、冷たくなってしまった手を握り、力を込めたりすると、それに反応して握り返してくれる。判ってくれているのだ。
しばらくして姉も到着。
すぐには帰らず次のバスの時間まで・・・

いざ帰る頃に「今日は帰る」と言うと、ふと首を振ったように見えたが、再度帰るよと言うと「判った」と声にならないような小さな声で返してくれた。

後ろ髪引かれつつも帰宅。
連休に入ったら19日と22日は泊まるように皆とスケジュール調整して決めた。
この調子で週末まで大丈夫なのだろうか・・・。
2009年9月17日(木) No.856

電話が・・・
会社でのこと。

打合せで席を外していた際、携帯を机の上においていたので電話に気がつかず、表示させて不在着信が姉から入っている事に焦りを覚えた。
ただ病院からの電話が来ていないので、連絡だけかな?という思いもあって、連絡してみた。

危篤とかではなかったが、今までの部屋からナースステーション近くの部屋に移動したとの事。
いよいよなのかもしれない、という予感。
今は誰も付いていないので、連休明けの引継ぎなども済ませ早退させてもらい、病院に向かう。

病院についてナースステーションで聞くと、なるほどすぐそばの部屋に移動になっていた。
個室だけれど狭い印象で、昨晩よりも容態の悪い母がそこにいた。

浮腫も酷く目線が合いそうで合わない。
言葉をかけてみるが反応が無いので、今晩泊まってくれる姪が来るまで手を握ったり、さすったりしながら居た。
姪が来て状態について詳しく見解を聞いてみる。
やはりかなり悪くなっているようだ。

明日は泊まりに来るし、そろそろ帰るかなと思い、声をダメもとで掛けてみると、目つきもはっきりして何か言っていた。
聞きとめられたのは「お願い」だった。
何が「お願い」なのか、何かを「お願い」なのか判らなかったが、姉に話してみたら「これからの事をお願いなのでは?」という意見だった。
ナルホドと思いながら、死期を予感したのかもしれないと寂しく思った。

それでもこの状態で声にはならないものの、会話が出来て嬉しかった。
これがいつか途絶えてしまう事が不思議な気持ちだったが、いつまでもなんか病院に通っているような不思議な感覚になった。

とは言え、そろそろ本当にヤバイだろうから、明日は自分の体調も考えて自分の病院に行ってクスリを出してもらおう。
何となく最近自分の体調もヤバイ感じなのだ。
床屋も行ければ行きたいところだ。

2009年9月18日(金) No.857

さようなら・・・どうもありがとうございました
本日、14:45に母は旅立っていきました。
父の命日は9/11なので同じ月に旅立ったことになります。

今朝になって姪から連絡が入り、血圧が測れない、呼吸が浅く意識も遠いという事で、早めに来たほうが良いとの事だった。
もともと昼過ぎには行かないとなと思っていたので、自分の病院へ早く行くつもりだったのだが、この連絡が入るまで二度寝してしまったようだ。

急いで起きて自分の病院へ・・・
混んでてヤバイと思いつつ、これからドタバタする時に自分が倒れてしまっては話にならないので、クスリは持っていたい。
昼前になって出られコンビニで昼食を買いつつ、母の入院する病院へ急ぐ。

到着してみると脈拍数も落ちて呼吸も規則的のようだが浅い。
また顔も浮腫み視線も定まらない様子。もう判らないようだ。
苦しいのか、痛いのか、はたまたもう何も感じていないのか・・・
俺らが傍らで話す声は聞こえているのか?

処置をするというので我々は部屋を出て、エレベータホールで他愛のない話をしながら笑っていた。
しばらくして処置の経過を見に部屋に戻った姉が駆け足でエレベータホールに出てきた。

「止まっちゃった」

「?」

頭の中が整理できずにその意味が理解出来ていない。
処置を終えたあと、ふと見ると呼吸が止まっていたというのだ・・・・。
部屋に入ると弱々しく呼吸をしていた母の動きは止まり、担当医が瞳孔や心肺状態の確認をしていた。

心肺停止の際の延命処置はしないでよい、という家族の意思が言ってあったので、確認するような声で状況を説明され、了解を求められたので了承をした。

14:45

その瞬間に立ち会えた訳ではないのだが、傍に家族もたくさん来ている中で良かった。

魂の抜けた母の身体は、先ほどまでの息遣いがそのままに口を大きく開けたままだった。
このまま硬直しないように、顎をあげ顔を整えてあげた。
色々処置された後、安置室に移動する間、死亡診断書などの手続きをして書類を起こしてもらい、安置室に行って顔をよく見たら、しっかりと顎は閉じ安らかな顔になった母がいました。

「よく頑張ったね」

と声を掛け、親父の時はロクに顔も見れずに別れてしまったが、母には普通に接する事が出来た。
もしもの時にと、自分で入会していた互助センターに連絡をし、葬儀への準備を進めた。

程なくして遺体を運んでもらい、セレモニーホールに皆で移動。
一旦安置された母に改めて線香をあげて、式の内容について打合せ。
詳細決定して終わったのは10時近くだった。

最後に線香をあげに行き、係員が席を外した際に顔にかけた白布を外すと、本当に安らかな顔、寝ているかのような母の顔を見ることが出来た。
最後は辛くて大変だったのだと思うけれど、安らかに旅立ってくれたのだと思いたい。

今まで色々苦労や心配をかけました。
また寂しい思いも沢山させたと思います。
でも、こうして最後の最後まで子、孫、ひ孫が貴方の傍について見送る気持ちがあったのも、全て貴方への思いからです。
病が発覚して結局半年余りでこの世を去ってしまい、まだまだやりたかった事があったのだと思います。
自分にとっては今までの数年分をこの半年で対面していたような錯覚さえ覚えました。
それほど、今までろくに実家に顔を出さずにいた事、申し訳ないという思いが消せません。

遺影にする写真をPCの大きな画面で見ているうちに、涙が溢れて止まりません。
色々、申し訳ないという思いはありますが、今まで本当にありがとうございましたという感謝の思いでいっぱいです。
どうもありがとうございました。

俺が逝くまで待ってて下さい。



2009年9月19日(土) No.858

遺影を
結局昨晩は帰宅して眠れずに、遺影にする写真の処理をしていました。
春先、最初に入院した直後でSyunが卒業式で着たスーツ姿で見舞った際に撮影した写真。

孫に顔を寄せ柔らかな笑みを浮かべた母の顔は、今となっては遠い記憶のように思えます。
本当に良い笑顔で、姪達もこの写真にする事に賛同してくれました。

Syunと顔を寄せすぎているので、少々加工させてもらいましたが、穏やかな顔の表情はそのままで・・・

PCの画面いっぱいに映る母の顔を見ていて、ふいに感情が高まり涙が止まらなくなりました。
ようやく形となり布団に潜り込みましたが、ぽっかり空いた感じになり、収まった涙もまたこみ上げしばらく眠りにつくことが出来ませんでした。

明けて出来た画像を姉達に送ったんですが、ちょっと髪が黒々とし過ぎていると直しが入ったので、白髪交じりの髪はいじらず、迷わず元からやり直したら、とても自然な感じに仕上げることが出来ました。

遺影も決まり、色々今日やらなくてはならないことを・・・
元々Syunの歯の矯正治療予約日だったので、先に治療を済ませ、家賃の振込み、家族で焼香に向かいました。
昨晩はまだ母一人だった安置室は既に4室全部埋まり、ちょっと異様な感じでしたが、母の顔は昨日を変わらず、穏やかな顔立ちで最後の日の息も絶え絶えだった姿からは想像出来ない静かな顔をして横たわっていました。

今は主のいない実家に入り、年賀状などを持ち帰り、衣服などの必要類を買い揃え帰宅。

そのまま僕は昼間に予約しておいたいつもの床屋に行った。
既に母が亡くなった事を電話で話していたので、その話を中心にお互いの経験談を終始していた。
連休中の休みに入る前日に無理言って散髪してもらった。色々な話も出来て心落ち着いた時間だった。

お金の準備とかまだあるのだが、今日はこれで休むことにしよう・・・。
明日はちょっとゆっくりさせてもらおう。
2009年9月20日(日) No.859

準備
昼までゆっくりさせてもらって、自分のワイシャツを買いにSyunを連れて出かけた。
明日以降に使う細々としたモノも含め買い揃え、足りないお金の工面も出来てようやく準備が出来てきた。

あとは、喪主の挨拶内容だ・・・
参考にもらった文章はとても読めるもんじゃない、他人さまの言葉が並び、自分の言葉に消化できないので、定番の言葉を前後に置き、どう話せば良いか考え家族の気持ちを代弁すべく言葉を並べていった。

長からず、短からずといった内容になったが、うまく内容を構成できたと思う。
とはいえ、普段こんな言葉使わないし、バタバタしていた暗記どころじゃないので、体裁よく読んでしまおうと思う。
それくらい母は許してくれるだろう。
2009年9月21日(月) No.860

お通夜
今日はお通夜です。
納棺の時間があるので、早めに出かけます。
先ほどクルマも汚れが酷いので、洗車してきました。

この数日間、事務的作業に没頭してきましたが、これからの状態がまだよく判りません。
没頭しているうちに、通夜、告別式と終わってしまうのかな?
今度帰ってくる時は、お袋のお骨と一緒です。
2009年9月22日(火) No.861

帰宅
母は無言の帰宅。

お骨になってですが、ようやく約2ヶ月間の入院生活を終え、病院から帰ってこれました。
祭壇で笑っている顔がとても懐かしく思えます。

斎場で永遠の別れの扉がしまると、堪えて来た感情がこみ上げて、涙を抑えることが出来ませんでした。
この時のことを思い出すだけで、目が潤んでしまいます。

喪主としてちゃんと出来たでしょうか?
出来る限りの事はしましたが、貴方の息子は最後のお世話をちゃんと出来たのでしょうか・・・。

もっといっぱい話しておけば良かったと、後悔の念が消えません。
やはり寂しいものですね。

今は小さな箱に入って僕の家に来ました。親父の元に行くまで暫くは一緒に生活します。
2009年9月23日(水) No.862

少し動き出す
結局休んでいようと思った木金もバタバタしているうちに終わり、今日はちょっと小休止・・・と言っても夕方まで。

昼前にずるずると起き出して、今までの経緯とかノートに纏め始めた。
最近の事でも役所の手続きとか、支払いとか頭がこんがらがっちゃって、清算が明瞭になるか不安だったので・・・。

多分知らせていない人もいるんだよなぁ。
よく判らない、ホント。
誰にどこまで知らせておくかなんて、聞けなかったものなぁ・・・
それとなく聞いてはみたんだけれど、「連絡しなくていいよ」って感じだったもの。
このまま病院から帰れなくなるなんて、思ってもいなかったろうしなぁ。
死期を悟られるのも嫌だったし、まぁ仕方がないか。

久しぶりにウォーキングに出かける。
奇しくも一週間前、ちょうど今頃息を引き取って、病院内でバタバタしていた時間帯。
あっという間の一週間だった。
もう一週間だ。

しかし、何だか時間が止まっちゃったみたいだなぁ。
一人で音楽聴きながら歩いていると、歩くのもおぼつかなくなってきたお袋が、俺が歩いているルートの話をしたときの事を思い出した。

「そんな歩ける所があっていいよ」

空を見上げれば青空に心地よい風と道端には草木が・・・
何でもないような景色だけれど、こうした所で思うように歩けたら気持ち良かったろうに。
あまり考えないようにと思えば思うほど、そんな事から頭に浮かんでしまって、最悪な事に火葬場での扉が下りていった瞬間の事が頭に鮮明に浮かんでしまった。

汗とも涙とも判らないが目の前が潤んで見えなくなった。
鼻の奥が痛い。
何か大声叫んでしまえば楽になるのだろうか・・・気が晴れるのだろうか・・・
あまり考える時間があると厄介だ。
今は単純に休み中に増えてしまった体重管理を今一度しっかり見直そう。

予定通り帰宅したら4:30過ぎ。
姪から確認の電話が入り、着替えて実家に向かう。
今日は親父の実印に実家で使っていた電話機一式を持ち帰った。
子機がそのまま使えそうだ・・・うちのと交換するか増設してしまえ・・・と。二次利用が出来てお袋も喜んでくれるだろう。

姉も姪も思い思いのモノを持ち帰るので、クルマに乗せそれぞれの家まで送り届けた。
子機が一旦子機設定を解除して、うちの電話機に増設子機として再登録。
無事出来たのでそれぞれの部屋に設置。
これで来客時に聞き漏らす事は無くなるだろう・・・。

明日は葬儀の残金支払いだ。


2009年9月26日(土) No.863


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