My Voices

ここでは甲斐のアルバム・楽曲・活動など全般に渡っての個人的な思い入れや考えを自由気ままに書いていきたいと思っています。 ファンそれぞれの「思い」はあるでしょうが僕の思い・意見が「正論」だなんて言いません、でも思ったままです・・・。


Voice.9 : Written:2009.07.25
決して終わりでない
▼Voice:8|▲TOP
先の武道館ライヴのDVDタイトルが「NEVER END」。
Reunion

あぁ、そういう事か。

ツアー前の発言で「バンドは無くなっても曲は残る。武道館をいい内容にしてファイナルを迎えたい」と語っている。
確かに「ファイナル」を「バンドの最後」と取るか、「ツアー最終日」と取るか微妙な発言ではある。
しかし、ツアーの発表と共に巷に流れたニュースソースには「バンドにとって22年ぶりとなる大規模なツアーであり、リーダーの甲斐よしひろが「最後のツアー」になることを宣言したことでも話題を呼んでいる、甲斐バンドの全国ツアー“BEATNIK TOUR 08-09 -THE ONE NIGHT STAND-”がついにスタート!」と伝えている。

インタビューの発言が微妙な割に、このソースからは「甲斐バンドとしてのツアーが最後」を示しているのは間違いない。
実際、武道館終了後PiaからMyアーチストに「甲斐バンド」を登録しているメンバーに次のようなメールが配信されている。


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本メールは「甲斐バンド」をMyアーティスト登録されているお客様にお送りしております。
平素より@電子チケットぴあをご利用いただきましてありがとうございます。
このたび、昨年10月からの全国ツアーをもって、甲斐バンドの最後の活動とする表明を受け、2009年4月20日までに「甲斐バンド」にMyアーティスト登録されているお客様は、 「甲斐よしひろ」のご登録へと自動的に移行させていただきました。
(お客様にお手続きしていただく必要はございません)。
今後は「甲斐よしひろ」のアイテムに情報をお送りいたします。
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これを受けて、まだ甲斐バンドの今後の活動があるものと思っていた気持ちが打ち砕かれてしまった。 しかし、NEVER END。 「決して終わりではない」・・・・のだ。

先般発表された甲斐よしひろの35周年ツアーは「NEVER END TOUR」。
なんと、甲斐バンドでやるという・・・・まだ武道館が終わって1年も経っていないのに。

「ONE NIGHT STAND TOUR」も何ともおかしな「ONE NIGHT」だ。
その前に行われた品川ステラボールでの「ONE NIGHT STAND」は言葉のままであったし、その反響は大きかったのだと思う。
リクエストを受けて全国ツアーに出た訳だが、それぞれの会場は「最後のツアー」とのファンの思いもあって大盛況だった。
それは武道館まで続くのだが、武道館は満員御礼状態では無かった・・・確かに席は埋まっていた。
でも、スカスカのアリーナの席配置、スタンドも北西、北東はなし、しかも西、東の北よりの席も数列潰しているシート構成だった。
半分とまでは言わないまでもかなり狭い武道館であったのは事実だ。甲斐バンドの名にしてこの状態はちょっとびっくりした。
それでもライヴの内容は充実したもので、アンコール前の大森さんの演出には思わず涙し大満足のうちにライヴを終えたのだ。

その後わずか5ヶ月で再結成?!

「節目の年に際してベストメンバーを考えたら、甲斐バンドが一番フィットすると思った」
「お祝い事がある度に集まってやると思う。無理やり解散とかしなくていいんじゃないかな」

甲斐バンドという響きだけで心躍ってしまう自分がいるのも事実だが、この言動は何だか素直に受け止められない。
C.C. Lemonホールの後には武道館を待たせていると思うのだが、ちょっとねぇ・・・。



Voice.8 : Written:2005.07.01
熱狂
▼Voice:7|▲TOP
もしかして・・・自分は気がついてしまったのではないか?

熱狂-ステージ-というCDボックスが発売になった。
発売ルートがどうのとか言う気は毛頭ない・・・そんなものはこのCDを聞けばぶっ飛ぶに決まっているのだから。
いつか切り刻んだライヴではない、その時の映像を見てみたいと思っていたのだが、今回は映像ではなく音源だった。
それでもあのバンドの音がセレクションされることなく、歴史的に重要なライヴが全部ひっくるめてセットになると言われれば、もう喉から手が出てしまうってのは仕方のない事だろう、そう思う。
そうして手にしたライヴCDは、一気にあの当時の自分の思いにまでタイムスリップさせる程のパワーがあったのだ。
そして、その事実は自分が自分を封印しているかのような感情を解き放す結果にもなったと実感せざる得なかった。

「俺はやっぱり甲斐バンドが好きだったんだ」・・・と。

ソロが嫌いじゃない、KAI FIVEだって好きだった・・・でも、あの場所でやるバンドの音は既に形がないものを再現しようとしているように見えて嫌だったのだと思う。
バンドの音は好きだ・・・でもあの音はもう再現なんて出来やしないのだ、それを思うと頑なに「バンドの曲をしつこくやる意味が判らない」というバリケードを張る要因になっていたんだ。
今、このCDから流れてくる甲斐の声、松藤のドラム、コーラス、大森のキメのチョーキング、フレーズ・・そのどれもが自分が求めている音だった。
こうした思いが多分根底にあって、ソロとしての甲斐の活動は一線を引いて欲しいと、多分気付かないうちに強く思っていたんだと思う。

気付いてしまったのだ。
自分の熱狂の対象になるものが、ナンなのかについて・・・・。




Voice.7 : Written:2004.01.18
夢の終わり ・・・
▲Voice:8| ▼Voice:6|▲TOP
このMy Voiceを前に書いたのはいつだったか見直すと、今回のツアーが始まる前の期待感溢れる時期だったんだな・・・。
ツアーが始まる前にはいつもの期待感とあるところの諦め感が混在してくるようになったのは、いったいいつからだろう・・・もう遠い昔のような気さえしてくる。
それだけ毎回「期待」と「諦め」の中、100%の満足感を得られなくなっているのかもしれない。
こうしたファンって自分だけなのだろうか・・・・。

うちのかみさんが甲斐のライヴには行かなくなった。
ある所までは付き合いという感じにもなってきていたのだが、決定的な原因は「変わらぬセットリスト」だった。
まったく変わっていないわけじゃない・・・でもいつもセットリストには「定番」が外されることは無かった。

それは常々思っている事だったし、公式のBBSを見ても時折発言があるようなので、まったく自分達だけが思っている事じゃないように思える。
あれだけの長いキャリアがあって歌い語り継いで守るべき歌があるのは素晴らしいことだ。
現にメロディと歌詞は静かになぞっていると心に染みる・・・・・でも程度ってものがあるんじゃないか?
そもそも夏場のツアーは少ないのである・・・それで「こんな時期にぴったりの・・・」ってMCで始まるいつものヤツは、「あぁ、またか・・・おなか一杯だよ」って思えちゃう。
溌剌なテンポでノリノリで始まるもう一つのヤツも「みんな大好きなんだな・・・」って思えるだけで、おなか一杯な感じはぬぐえそうもない。

このSeries Of Dreams Tourってナンだったんだろう・・・・・。
自分は何に期待していたんだろう。

それは期間がくくられることで今まで日の目を浴びることが少なかった楽曲が、そういった「枠に囚われない定番曲」の隙間をすり出て演奏されるのではないか?というほのかな期待だったのだ。
シリーズを終え(AGAINは残っているが)その期待は報われたのか・・・・答えはNOであった。
無論全てのオーディエンスに対しての期待にYesである事は不可能だろう。快進撃を続けている今が旬なアーチストならば、向う道はただ一つ的な勢いと方向性でファン共々共感しバンザイっていうライヴが展開されるのだろうけれど、甲斐の場合においてそれは当てはまらないのである、少なくても自分の中では。

出来たらこんなツアーだったらというのを書いてみよう・・・。
まず、Vol.1。いわずと知れたデビューから甲斐バンドが頂点に達するまでの起承転結でいう所の「起:デビュー」と「承:甲斐よしひろから甲斐バンドというスタイルの継承」とでも言おうか、ソロの荒削りながら繊細な作品をバンドスタイルに昇華させていった時期。
その段階を見せて行ってくれれば申し分ない。
ある意味定番曲に占拠されそうな予感はあっても、そのスパンは仕方がない事だから、あえて言うなら「黒い夏」とか「二色の灯」なんかが聞けたら嬉しいと思っていた。
Vol.2は「転」の時期だ・・・甲斐バンドは80年代に入るに至りレゲエやスカ・・・さまざまなビートに挑戦しバンドサウンドに組み込んで転じた時期。
「地下室のメロディー」などのリズムに加えライヴでまた見たい曲は目白押しな時期だ。あえて言うなら「マッスル」か・・・逆に外してもと思ったのは「ラヴ・マイナス・ゼロ」あたりの曲か・・・聞きたい反面、バンド解散時に数限りなく聞いていた余韻からその前を中心に聞きたいという希望があった。
Vol.3は「結」で甲斐というアーチストが結びの時期に来てしまったのかというと、現在進行形であるのは周知の通りなので、いろいろなスタイルにチャレンジして形を作ったとでも言おうか、ソロ1期,KAI FIVE,ソロ2期とコラボレーションや甲斐バンド復活も含めてバラエティなスパンでもあるわけだ。
今気が付いてしまったから白状すればやはりKAI FIVEを無くして語れない時期だと思う。
だからこそこのVol.3はKAI FIVEのライヴが中心になってくれれば・・・と思っていた。
このスパンは長い、その中のKAI FIVEはほんの数年でしかない。それでも珠玉の名曲と呼べるものが沢山出てきた時期でもあると思っている。
その思いに応えてくれるようなセットリストではなかったのが残念でならない。

ちょっとまとまらなくなってきた・・・
今年は30thイベントで年半ばからガンガンいきそうな気配である・・・。
そもそもHISTORY LIVEからイベント尽くしである、それから何も変わっていないのだ・・・30thで何が変わってSeries Of Dreams Tourで得られなかったものが得られるのだというのだろう。
夢を見る「夢」を見ようとしていたのだろうか・・・結局夢も見れず、現実に気が付いてしまった。

もう夢は終わってしまうのだろうか・・・。



Voice.6 : Written:2002.10.19
夢のあとさき ・・・
▲Voice:7|▼Voice:5|▲TOP
終わってみればあっという間だったような、Series of Dreams Vol.1。
まぁ全ての公演を見ている訳もないので、早いも長いもないんだけどね。
今回のツアーは今までのツアーよりも気持ちの傾き度合いが違うというか・・・そんな心境の変化とでもいおうか、とにかく何か違ったのでちょっと振り返ってみたいと思う。

何が違っていたのかっていうとライヴ前にあらためて甲斐の曲を聞いてみたくなってCDプレーヤに甲斐バンドのCDが多く乗ったという事。
結局買い揃え始めてしまったスーパーリマスティングCDもツアーに向けての気持ちの変化だったのかもしれない。
確かに甲斐バンドは凄い。
ストーンズやスプリングスティーンのパクリだなんだって言われつつも、支持され続ける曲を残してきた。
いつ聞いても大好きな歌は心にずどん!と響いてきて魂を揺さぶるんだもんね。
で、このVol.1のスパンは甲斐バンドのデビューから「安奈」までという定義になっているんだけど、セットリストで入れて欲しい曲は数え切れない程ある・・・そして演奏してくれた曲の中には「もういいよ」って曲もある。
複雑な気持ちながら、やはりしばらく演奏されてこなかった曲達に陽を浴びせて欲しいと思ったんだが・・・・・。

正直言って「安奈」はもういいかなと・・・ずっとずっとやってきてるワケだし(冬は当然、夏はレゲエ調を復活させて・・)松藤のギターとのコンビネーションが無ければ聞く気すら失せてるというのが実は本音なのかもしれない。
セットリストに意外性あ感じられなかったのがVol.1の残念な所・・・それだけ定番曲がひしめく時代だから仕方もないことなんだけど、あえてそこから外していくというのもあっていいんじゃないかな。
「マドモアゼル・ブルース」をここに加えなくてもいいんじゃない?その他に加える曲もあるでしょう?なぜカバーを入れるんだか・・・。

Vol.2が「漂泊者:アウトロー」あたりからなのか、残された「マイジェネ」の所からなのか、まだ判らないのだけど(「100万$ナイト」は外せないだろう)スパンが長いかなー、選曲するのが大変だよな・・・って俺が心配するこたないんですが。
70年代と80年代を区切る曲というのはやっぱり「HERO」だと思っています。この曲を境にバンドのスタンスが明確化したと言うか、もっと骨太の男が騒ぐバンドにさらに進化していったのだと思うのだ。(「武道館ライヴ」を聞いて黄色い歓声で判るよね)
だからこのVol.1のセットリストはこの武道館ライヴで歌われた曲に加え所期の名曲を加えたものになって欲しいという願いがあったんです(個人的に)、そういう面は見事に期待を裏切られたワケでもあるし、きっちりと定番をこなされたって気もあるし。

そして「牙/タスク」はいらないよね、このスパンに・・・リリース前、直後じゃ仕方ないけれど・・・。
甲斐バンドでBEATNIK TOURを組んでもアルバムの曲が少ないという状況だったけど、シングル盤一枚でガンガン演るのはなんでなのかなー。
「夏の轍」は生産終了になっちゃっているし・・・
スパンを決めたライヴだからある程度どんな曲やっても、定番だからいい加減いいでしょって言わないつもりだったんだけど、余りにもそれに偏っている面もあったりで・・・。

と文句ばかりかっていうとそんな事もない。
特に「カーテン」が良かったと思っている・・・蘭丸のギターの妖しさも加わって良い仕上がりだったともう、願わくばエンディングのギターソロはツインで上へ上へ上り詰めていく様を見せ付けて欲しかった。
「メモリー・グラス」〜「シネマクラブ」がこのVol.1でのクライマックスであり、ピークだと思った。
ここの区間は文句なしのセットだった。
こんな文句なしの区間がVol.2は全般にひしめき合う事を願って、今は夢のうたかた・・・である。



Voice.5 : Written:2002.08.21
夢の連なり ・・・
▲Voice:6|▼Voice:4|▲TOP
今度の甲斐のツアータイトルである「Series of Dreams」という言葉・・・良い響きだねぇ。
正直言ってそのツアータイトルに続く[1974-1979]という年にちょっと嫌悪感を覚えた、嫌悪感という表現が正しいのか、どう言ったらいいのか判らないんだけど。
ここを読んでいる方はワタシのスタンスというか、考えは常々書いてるし、下手すりゃ公式のBBSででも書いたりしてるし(最近そういうチカラ無いですけど)判ると思うんだけど(判って欲しいんだけど・・・考えは自由だし、強制も他のファンの接し方も批判するつもりないし)、「また回顧録になっちゃうのかな」というのがね・・・・、ホント思った。
でね、当然今回ばかりはライヴをパスしようかなって思ってました・・・でもね、結局AXのチケット取ってるんですよ。しかも10月の厚生年金まで・・・。
なんでかって言うとね・・・ツアーの名前にある「Vol.1」の文字に魅せられたんですね。
Vol.1ですよ・・・そりゃVol.1だものデビューの年(1974)からですよねぇ・・・区切りが1979年(Heroがブレイク)ってのが引っかかったんだけど、一応は安奈まででしょう・・・そして、やっぱり切るなら「俺達は80年代に行きます」と言った所で切らないとねぇ。(だから切り所は正解だよね)
そうすると、Vol.2...Vol.3と繋がるワケじゃないですか・・・連なり・・・夢の連なり・・・Series of Dreams。
あぁ、そうだ・・・これはVol.1から行かなきゃ駄目なライヴツアーじゃないかって思って、即申し込みに行ったんですよ。
ここ数年のライヴの展開でかみさんからはついに見放された甲斐のライヴなんだけど、逆に自分ひとりだけで行くってのは(開始前まで時間をもて遊んでしまって参るなーってのはあったりして)ちょっとアレなんだとか思いつつも、ライヴは始まっちゃうと周り関係ないからなー構わないか・・って最近思えてるし、そういう意味ではチケット購入も自分の想い一つで決められるので楽って言えば楽なのね。
だから、即決めた・・・うん、このツアータイトルの意味するものが見えたときにね。(甲斐の想いは別だとしても、自分なりの受け止め方の問題だ)
今回に限ってはこういう集大成モノってことで思い切り楽しもうと思う。

そりゃね、また甲斐バンドかいっ!!って気がないワケじゃないんだよね、今回にように年の区切りはないけど積極的にバンドの曲を取り入れるようになってしまうようになった、あのKAI FIVE時代にやったHISTORY LIVE以降のわだかまりは払拭出来てるんじゃないんだよね。
甲斐よしひろのツアーであった時にはバンドの歌はしないで欲しいって言い切るつもりはない、でもその大半がバンドの歌でせっかくのアルバムツアーでアルバムの歌が影になってしまうようなライヴはもうちょっと勘弁・・って。
そう思いながら今回のツアーでVol.2の区切りってどこになるんだろう・・・Vol.1が5年で区切れているんだけど、80年から5年じゃなく解散までの甲斐バンド後期なんだろうと勝手に思っている。
この80年って"漂泊者"で新しいリズムを取り入れて新境地を見出した頃から、リズムセクションを強力にして行った後期の名作へと明らかに70年代とは違った音創りを見せてくれる時代だったわけで、それを惜しげもなく魅せる聞かせるステージになるんじゃないか?そう思っているし、願っている。
そして気になるのがVol.3。
このままの区切りで言えばソロ期になるワケだ・・・1987年から1997年までの11年間を括るのか?KAI FIVEは?(ここが気になってるんじゃないのか?俺)
1991-1993年の3年間のKAI FIVEの所をどう料理してくれるのかが、実はこのツアーの落としどころで重要視してたりする。
無論、ソロ期も同じようにどういう扱いになるのかが気になっている。
いや、Vol.??までなんだ?勝手に区切っちゃいかんわな・・・でもこのサイトでソロIとソロIIというくくりをしているが、KAI FIVEを前後するソロ活動をバラバラにやるのも何だし、とはいえ活動の流れは同じようで、まったく違うもののようでもある・・・・。
甲斐よしひろというアーチスト区切りで言うならば、明らかな違いは甲斐バンドとソロ・・・そしてその延長にあったユニット(KAI FIVE)だ。
ここはVol.3でひとくくりでいいじゃないか・・。
全てのアルバムからしっかりとセレクトしてやったら物凄いライヴになるだろうな、泣くなあ・・・絶対、俺。
そんなこんな思える今回のツアー・・・自分自身の「夢」がバンド〜ソロの流れの中でどう表現されていくのかが、実に楽しみなツアーだと思う。
夢の連なり・・・夢うつつ。


Voice.4 : Written:1999.10.31
ソロ?バンド?再結成?
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11月13日の飛天ライヴを前にひょんな事から「甲斐バンド再結成」のニュースが舞い込んで来た。
今の時点では飛天で「復活」ととるのか、シングルを発表するだけなのか、その後もバンドで動き出すのか半信半疑な内容ではあるが・・。
バンドとその復活にはいろいろ考えることがあるのでここで書いてみようと思いました。

バンドが真夏の花火と散ったのは86年6月それからのバンドの意識は・・・。
1992.10.15にNHKホールで行なわれた 甲斐よしひろ HISTORY[Kai Band]-[KAI FIVE] が甲斐バンド回帰への序章だったのだと思う。
前後してバンドの曲への傾倒が目立つ様になり、KAI FIVEなのだか甲斐バンドなんだか判らなくなっていた時期である。
そりゃあ「きんぽうげ」などやられたら感動せずにはいられなかったけれど、「翼あるもの」「100万$ナイト」「漂泊者」などかつてのバンドの定番がほぼメインに居座るこのバンドの意義って何だ??って観る度にそう思った。
そしてバンド・・いやユニットの終焉。
またソロに戻った甲斐は21周年で Singer というライヴを行なう。
このライヴのお披露目は三郷市民文化会館1994.12.17での事だから1994.7.28に新宿厚生年金会館で Red Sudden-Death TOUR '94 で幕を下ろしてからほぼ半年の後にコレであったのだ。
やっぱりやりたいのは「甲斐バンド」なのかな?との思いもあったがリクエストに答えてライヴでやります的な発表があって僕も喜び勇んでリクエストしてますが・・・まぁ、ね・・KAI FIVEを終えてソロなんでやっても構わんな、イベントだしっていう意識だった。
そしたらこのライヴで甲斐バンドが一夜限りで復活するっていうじゃない・・盛り上がらない訳ないよな。
あの武道館は往年のバンドのライヴの会場だったもんね・・・ソロ1発目の武道館3日間の閑散とした雰囲気(実際には滅茶苦茶寂しい訳でもないけど、3日間武道館の2階席までフル動員出来る訳じゃなかったよね)とはまったく違ったものになっていた。
無論、それは自分自身もそうだった。
三郷でレビューしているので新しいモノは「甲斐バンド復活」しかない訳だったけれど、その日の甲斐は久しぶりの大きなハコではじけていたし伸びやかにステージは続いていた。
大森が体調を崩して参加出来なかった訳だけどバンドのメンバーが「そこに居る」という満足感はただそれだけで会場を熱くさせていた。
一夜限りのボーナスとして「いいものを見せてもらった」と大満足した・・・すごく。
この後ロッキュメントが始まるのね・・・すごくいいと思った。
アルバムツアーとは別にテーマを決めたステージっていうのとゲストのコラボレーションっていうのが新鮮で、やはり甲斐よしひろって男は一筋縄じゃいかないなーって思った。
その後アルバム出しても・・アルバム名を冠したツアーをしてもアルバムの収録曲をやらないのがほぼ恒例の様になってきたかこの96年頃はロッキュメントに加えて害バンドまで始めてしまった。
本人からどういう意図があってこういうのをやっているのか聞いた訳でもコメントがあった訳でもないように思うので客観的にしか言えないが過去のバンドの影を多少なりとも引くようなユニット名、ましてバンドメンバーであった松藤もいる訳で・・・。
結局甲斐は甲斐バンドのメンバーと「バンド」をしたいのではないかな、みたいに思うようになったのはこの頃。
アルバムツアーより害の方がセットリストに面白みを感じてしまうのは何故だろうか?
アルバムツアーはしっかりとアルバムのお披露目になって欲しいけどそうじゃない。
ロッキュメントや害などの実験的ライヴでの甲斐バンドや他のアーチストのカバーなどは有意義だし、本来のツアーで出せない部分をそういうトコで出すのはもっともだし大賛成なのだが・・・。
害バンド=ガイバンド=カイバンド・・・ネーミングの絡みからしてどうにも納得出来ず、ツアーのやり方にも納得出来ず害には一度も行かず、アルバムツアーの変遷を追うようになった。
そしたら・・・・甲斐バンド再結成である。
くしくも96年、自分の好きなバンドの再結成が重なった・・・KISSと甲斐バンドだ。
KISSにおいては現メンバーが脱退することによりオリジナルメンバーが納まり70年代を席巻した伝説のバンドの姿そのままに、その伝説を知らない者までも巻き込んで迎え入れられた。
甲斐バンドは解散からはや10年を過ぎていた・・・あっという間である。
ある意味リユニオン(再結成)がブームになりつつあった今解散後10年後というタイミングは、まさに格好のトリガーになったのは言うまでもないと思う。
その意義は大きいし、リユニオンが進む現状ではかつてのバンド「甲斐バンド」を見たいと思うのも訳もなく正当な理由だと思っていた。
再結成してかつての曲を今の目線で料理したツブ揃いの楽曲は新たな息吹を起こし、眠っていた我々の思いを掘り起こし期間限定というゴールに向かって精一杯ライヴで弾けたのだった。
オリジナルメンバーが一同に揃うパワーってこんなにすごいものなのかとまざまざと見せ付けられてしまった。

オリジナルの強さ・・当然至極なんだけど、結局バンド解散後そこから抜け出せないでいるんじゃないだろうかって思い。
勝手な言い分だけどこの10年後の再結成だって世論が動いたんじゃなく、時代が動いていたからそこに乗っかったって雰囲気も無きにしもあらず、と言ったところで・・。
確かに甲斐らしさでもって過去の歌をリニューアルでさらにアコースティックテイクで聞かせる、ライヴはエレクトリックで・・そこまではいい・・・。
良いライヴを見せてもらった翌年飛び込んで来たのは福岡での恩人に対するトりビュート再結成。
それのタイトルが「ONLY ONE NIGHT」だ何回がONLY ONEなんだ?!。

で、ね・・・もうイベントだらけ・・・今の甲斐。
21周年やって25周年やって甲斐バンドの温故知新・・・・。
新しきを知るって全然新しい事やってないじゃん・・・TKコラボレートも今やるべき事がどうやら飛天以降の事に焦点を当てているのか4連続で出すといったシングル構想も3段で止まったまんま。
Zeppで見せた新曲は評価が高いながらも出さずじまい・・・一体どうするつもりなんだろう。
でね、結局甲斐バンドは再結成すべきなんだろうと思う、大森の具合がそもそもの原因だったハズだけどKIT16や他の事を見てもヘヴィなことしなきゃいいんかな?って思ってきた。
(でも、先日の放送のコメントの姿を見たら何だか尋常じゃないような気がすっけど)
甲斐は甲斐バンドで甲斐バンドテイストの楽曲を思う存分すべきである、そしてバンドの枠を超えたものをソロで発表という2面構成で進むべきである。
(また、「すべき」とか書いちゃって「君は何?偉そうに・・」って言われちゃうかな(^_^;;;)
たぶんそれが一番の甲斐を見る為の最善の方法なのだと思う。
常に最善の甲斐を見ていたい、聞いていたいので・・・



Voice.3 : Written:1999.04.03
「か・さ・ぶ・た」を読んで・・・
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まず、まだ読んでいない人に・・・。
ネタバレ的な事を以降に書くと思います、興味が半減すると思われる方はここは読まずに本を読みましょう。

まず、第一感想・・・・・・・・・「過去の甲斐」かな・・・。
無論過去のインタビューの再収録な部分が殆どなのでしょうがない事ですけれど、印象は「過去」です。
各インタビューの最後に「現在の甲斐」のコメントがあるが、そちらのコメントに目が行ってしまう、生の声っぽくてね・・。
確かに過去のインタビューのどれも読んだことのないものなので興味はあって全部読んで「そうだったのか・・」とか「なるほど」と自分の記憶の中の「その時代の甲斐」と照らし合わせてみて貴重な時間を振り返れた様にも思えた。
また合間に挟まれた発言集がインパクトがある・・・MCで言った言葉と同じ事が書かれていて改めて浮き彫りになった感じがしてすごくうれしかった。
それはどんなかというと・・。

「10センチの間隔でずっと見つめあっているよりは、1メートルくらいひいてみたほうが本当の愛情が見えてくる」

である・・・・ライヴでこの言葉を聞いて耳についていた・・・特に子供に対してそうあろうと思ったのだった。
ここでまたこの「言葉」に出会えて嬉しいというのが実は一番の感想なのかもしれない。

さて、本の事に話を戻すと・・・。 かさぶたは何となく治ってくると痒くなっていじってしまって結局剥がしてしまうものだ・・僕もそうだった・・。
剥がして後悔もするのだが、また新しくそこにかさぶたが出来ても剥がしてしまう、そんな行動を何度もして最後は薄く跡が残ってしまう・・・。
その行動を自らの人生とするならば剥がして残った「しみ」こそが歴史なんだろう、うまいことを言う。
タイトルにまつわるイメージが自分にひどくマッチしたのでさらに読んでみる・・。
すごく気を取られた内容というと・・甲斐バンド解散に至るまでの「初めての話を書く」のところ・・・。
予想だにもしてなかった事に「色々あるんだな・・」と簡単には語れない内情を想像してみる。

解散の1年前、さらにその数年前にあった甲斐の葛藤・・・。

バンドをやっていく事の難しさをなんとなくわかった気になった・・・。

個人的に目を見張る部分の一つに詩集があった・・。
甲斐が自費出版した「思春期」というのは僕の記憶の中にない歴史のページだった。
そこにはバンドの歌として消化された源があり、「ポップコーンをほおばって」の元歌詞を読む事も出来る。

ある人との評論の中に「セクシーを通り越してエロチックだ」と甲斐を称しているが、まさにそうだと思う、皆見て感じるトコは同じなのだろう・・。


という訳で感想でないような感じになってしまいました。(^_^;;;
過去のインタビューや発言にもう一度触れたいと思ったならば「買い」の1冊である事は間違いありません。


Voice.2 : Written:1999.02.06
最近の活動について2・・・
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同じようなことですが・・・・・思うままに・・・

「変化」し続けて欲しいものです・・・まったくその通りです・・・
でも、今は変化なんでしょうか・・・どうも甲斐バンド回帰にしか見られません。
僕が勝手にソロ2期と表しているアルバムはそれぞれ味わいが出てきたトコだったと思うんですよ。
個人的な趣味なのかもしれないけれど・・・。
「GUTS」はプロデューススタンスからして「甲斐バンドの音を求めていた」とは思う のですが、ソロでの味わいもちゃんとあって、さらに「パートナー」はコラボレーション の原点なのかもしれないけど、楽曲もそれぞれ粒立ちが良くライヴ映えするような 曲もいっぱいあると思ってた。
変化するならなんでそこでそういうライヴをしないんだろうか・・・。
そこに過去のバンドの曲をリストに加える必要はあるのだろうか・・・。
加える曲を「変化」させるでもなし・・定番と呼ばれる曲をライヴの定位置に置くのは 納得出来ない。
ステージ後方に色鮮やかにライトアップされる・・・・・・・・・・「観覧車」をやるのか・・??
天井にはスウィングするライトが・・・・・・・・・・「冷血」やるのか・・??
ミラーボールが・・・・・・・・「100万$ナイト」、これは最近ないか・・・。
マイクスタンドが立ち並び・・・・・・・「破れた」をやるのか・・??
想像出来てしまう展開が目の前にあるというのは寂しいものです・・
「甲斐バンド」も「甲斐よしひろ」も同じノレンでくくる・・・と言ってましたが、その頃からライヴの内容が何となく同じになっていると思うのは僕だけでしょうか・・・。
違う面白さを求めて行ったのは「ロッキュメント」だけだったような気さえしてきます。
あそこは毎年「実験的ライヴ」をしてると自分は思っていましたから、何でもアリでし たし、そこに何の楽曲が来ようと満足してました。
今の状況(ライヴにおいて)は決してフィルターを通した「新しい甲斐バンドの曲」で はなく、昔のレコードを甲斐というアンプを通しているだけのように感じてしまうのは 僕だけでしょうか・・・。
こういう風に書いていて悲しい気持ちもしますが、自らファンサイトを起こしながらも まるっきり批判めいたことを書く方もパワーがいります。
何度も言っているように「甲斐バンド」の曲をやるなというんじゃありません。
僕だって聞きたいですから・・・・。
でも、アルバムツアーならアルバムの曲メインでやってよ!!というのが真っ正直 な気持ちです。
前にベイNKホール(1990.7.15)でのライヴは「エゴイスト」の全曲をやったんです。
Pink Floydのようにアルバムをステージで再現するような事を例えに同じような事 を甲斐もやったんです。
なんでわざわざ過去の曲をやって最も最近に出た曲すらもやらないのかが疑問でなりません。
えぇと、これは誰の意見がどうで、こうでなきゃ甲斐じゃないだろ、というのでもありません。
そんなことは僕が決められません。
しかし、甲斐に対して望んでいることは上に書いてある事に偽りはありません。
現在の活動が「世間一般に見たら小室傘下に入った」としか受け取られないと思いますし、現に周りの知り合いの反応は全部そういうものでした。
今の状況がどうであれ、小室ファミリーへの「売れセン」にすがっているようには僕には写りませんでした。
世間一般がそういう風に捉える事を聞くのがとても嫌でした。
そしてそれをファンが言う事をとても嫌だなぁとも・・・・。

甲斐バンドが解散し離れていったファンがいるように、これも一つの転機なのかもしれませんが、僕は甲斐が歌い続ける限り応援していきます。
でも、文句は言います。
感動すれば泣くでしょう。
それがファンってもんです・・・何も言えなくなったら黙ってCD聞いてるか、ファンをやめるでしょう・・・。

これは同日付けにShout!!で書き添えた僕の発言を修正・加筆したものです。



Voice.1 : Written:1999.01.22
最近の活動について・・・
▲Voice.2|▲TOP
最近の活動といえば「TKとのコラボレーション」が目立ってしまいますが、皆さんはこの事についてどう考えていますか・・・??
僕は「新しい血」が入って新境地を開拓するという意味ではすごく有意義な事だと思います。
それによって生み出される「音楽」は当然の事ながら違和感を産むかもしれないし、すんなりと受け入られるものかもしれません・・・人それぞれです。
だからこのことについては「甲斐は変わってしまった」とか「昔の甲斐に戻って欲しい」とか思ってもいません。
他のアーチストとの「コラボレート」で新たな切り口を見せてくれる事に対しては前向きでいいのですが、僕がこの数年頭にあるのは「甲斐バンド回帰」という雰囲気です。
ある意味バンドを解散した後バンドの歌を封印していた時期ってありましたよね。
まぁ、「ストレートライフ・ツアー」から「野獣」とかやっていましたが、甲斐バンドの時代にキーポイントになっていた曲は微妙に外していたのだと思います。
それが何となく封印を解かれだしたのがKAI FIVE HISTORY LIVE〜21周年ライヴ「Singer」じゃないかって思うんです。
KAI FIVEっていうトリオバンドで3作のスタジオアルバムを出して楽曲もバラエティに富んで甲斐バンド、甲斐よしひろという括りでは無し得ない新しいテイストを出していた時期になぜ「甲斐バンド」なのか・・・。
ライヴレビューでも判ると思いますがハッキリ言って「ワンナイトの甲斐バンド復活」はとても嬉しかったし、武道館を包むファン層はソロ、KAI FIVEとは明らかに違っていました。
でも、HISTORY LIVEに関してはKAI FIVEまでの楽曲を「甲斐」というノレンでひと括りして「自由に演奏」するが為のイベントであったようにしか思えてならない。
案の定その後のライヴで甲斐バンドの曲が占める比率は上がる一方であったし・・・。
「BIG NIGHT」で完全復活した際も「イベント性」が高いと思ったからそのステージはソロやKAI FIVEとは違った反応をしてはいたが、あくまでも「ワンナイト的な復活」であったので、その後は勢力的にソロ活動をするのだと思っていました。
「GUTS」では甲斐バンド・テイストを出しつつも甲斐よしひろとしての「味」も充分出そうとしていたし、続く「パートナー」では「CRY」などの名曲を生み出す活躍をしていました・・・でも・・・しかし。
「パートナーツアー」と銘打ったツアーはのっけから「甲斐バンド」・・・それも5曲。
「きんぽうげ」をやるなとは言いません、言えません・・・・。
本格的に甲斐にしがみつき出した最初の曲ですし・・・。
でも、なぜにアルバムのツアーなのに・・あのセットリストか??疑問が出てきます・・・。
ロッキュメントでは「意外性のあるセットリスト」で楽しませてくれますがホールでのライヴでは「意外性」などまったくないと思います。
年末に行われたライヴは個人的なスケジュールの関係もあって行かなかったのですが、以前は行けない事を「悔しい」と思えてしょうがなかったのに、その時は何も感じなかったのでした・・・。
そして知り合いに聞いたり他の甲斐関連ページで読む限りでは決して新しいことをしていないっていうのが感じられました。
今の状況は「甲斐バンド」ではなく「甲斐よしひろ」なのであるから、バンド以降の楽曲で何でライヴ構成をしないのかが判りません。
全部をバンド以降の楽曲とも言い切りませんが、間のワンポイントで「甲斐バンド」ってな具合にしてもらえると嬉しいですねぇ・・。
こう書いていると「甲斐バンドを歌うな!」って言ってるように聞こえるかもしれませんが、決してそういう意味ではないんです・・・でも、もうちょっとバランスを考えてもらいたいなぁ・・と思います。
もうしょっちゅう松藤が来り一郎が参加するんならいっその事甲斐バンドを再結成しちゃえ!とも思います。
大森も長いツアーでなければ問題ないんじゃないのかなぁ・・・・。
(そもそも解散の原因は大森のライヴ活動への支障があるって事からだもんね・・・)
あぁ、批判めいたことになっちゃいましたけどこれが最近(ここ数年)ずっと頭にあることです。



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