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KAI FIVE


1991年、甲斐が一旦のソロ活動止めて結成されたトリオ(3人組)バンド。
(途中でベースが入り4人バンドになるもすぐに脱退)
メンバーは田中裕千(ヤッチ)(g)、今川ツトム(dr)※元エコーズ。
いきなり結成したというニュースをファンクラブで聞き、そのファンクラブでのイベント「SECRET GIG」でお披露目となった。
バンドスタイルとそのサウンド、ロゴマークをまさにそれは甲斐バンドとの決別とでも取れるロックバンドだった。
お披露目ライヴはアルバム発表前だったので、そこで演奏された新曲に皆が戸惑っているのが印象的だった・・・それよりも会場の音響がよくなく音圧に負けて曲の印象が消し飛んでしまった感のあるライヴにアルバム発表まで不安が隠せないでいるような感じになった。
一週間後にアルバム「幻惑されて」が発売、バンドの全貌が明らかにされる。
もっとも甲斐バンドと違う引用を与えたのはサウンドでもなくはないが、単純に甲斐以外のヴォーカル曲だった。
ヤッチのヴォーカルがフューチャーされた「LOVE POTION」などキャッチーなリズムがある、甲斐一色、甲斐バンド色を排除したい気もあったこのバンドは将来に充分期待出来るだけの勢いもパワーもあった。
特に野獣のごとくパワフルなヤッチのギターは僕の心を大きく揺さ振ったものだったし、ヴォーカルにおいても秀作が目立ち甲斐オンリーでない部分に甲斐バンド時代の面影が薄れてきて無茶苦茶安定していた時期であったと思っている。
第2作「LOVE JACK」は甲斐のもつ空気も展開されてステージ栄えするタイトル曲「LOVE JACK」に始まり、名作「ノーヴェンバー・レイン」「四月の雪」などを含む秀作になっている。
しかし甲斐のフロントマン的な部分は何にも替えがたい大きなものではあるが、それが逆に重責になってしまうのかな?とも思わないでもないバンドの感じだった。
積極的にライヴを行い新しいバンドスタイルを浸透させていくにも、さほど時間は掛からなかったと思う。
無論、甲斐バンドのスタイルに馴染んでいる多くのファンが落胆して離れていった事実もあったろう・・・しかし逆に新たなファンの獲得という功労もあったハズなのだ。
ライヴにその真価を発揮しそうな面々のスタージがよくない訳がなかった・・・。
1992年にKAI FAIVEにとって節目になることがあった、それは「甲斐よしひろ」としてのイベント的扱いになった「HISTORY」ライヴだった・・・。
これはビデオ化もされたし、ライヴ盤としてもリリースされた所謂甲斐でくくったライヴだったのだ・・・これは何でこの時期なのだ?というものがないワケではなかったのだが、これを期にセットリストが甲斐バンドに傾倒していく。
1993年1月からCX系ドラマ「並木家の人々」(演出が北の国からなどの杉田成道氏)で主題歌として「風の中の火のように」が、挿入歌に「嵐の明日」が使用された。
やはりゴールデンタイムで配役、演出に長けている作品であった為に重たいストーリー展開ではあるものの、視聴率は平均的に高視聴率を保っていた。
結果「風の中の火のように」はヒット・・・久しぶりにチャート番組や歌番組に出演することが多くなっていた。
ただ、このシングル「嵐の明日」のクレジットは「甲斐よしひろ with KAI FIVE」となっている。
後に「HIGHWAY 25」という甲斐の歴史を辿るCD BOXセットがリリースされるが、そのブックレットにこの辺の事情がより明解に書かれている。
つまりKAI FIVEはバンドではなくユニットであったと・・・この曲は甲斐よしひろのソロ曲だったのだ。
そういう思惑がクレジットにも現れているし、少なからず疑問を抱く要因にもなっていた。
そしてその予感?が的中したか、それ以降のライヴは本当にKAI FIVEらしさを失っていく結果となる。
バンドは実は3人の個性が集まってスパークするユニットであり、その昇華した形はこの時点で終わっていたのだろうか・・・
1994年7月に残念ながらRED SUDDEN DEATH TOURで幕を閉じることとなる・・・解散というものではなく「活動休止」とコメントされいたはずだが、このバンド・・いやユニットがその後復活することはなかったのだ。

ドラマーのツトムが12月28日近藤奈々のリハーサル中、急性動脈瘤乖離で倒れ、生死の境をさまようが、奇跡的に回復という壮絶な状況になる。
2000年には結婚、多方面での創作活動を始め12月にECHOESの武道館での一夜限りの復活ライヴなどを経て現在に至る。
病気の後遺症を残しながらも積極的に音楽にドラムに向かっていく姿は素晴らしい。


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